宮川眞一・理世夫妻プロフィールと挨拶│一期目│二期目│
・宮川 眞一(みやがわ しんいち)さん
愛媛県宇和島市生まれ。宇和島東高校、関西学院大神学部、
大阪YMCA予備校、徳島大医学部卒業。
福岡徳州会病院勤務。
大学時代に「アジア夏期学校」(SIEA)に参加、アジアの現状とその支援に共感。
2005年9月より、JOCSワーカーとしてバングラデシュへ赴任。
2006年5月チャンドラゴーナキリスト教病院で医療開始。
・宮川 理世(みやがわ みちよ)さん
長野県飯田市生まれ。13歳より英国に滞在。
カナダ・ヨーク大学、英国サセックス大学院卒業後帰国。
長野県松本市の医療機関に勤務。
宮川眞一さんと結婚し福岡に在住。赴任に伴いバングラデシュへ同行。
・宮川理希 (みやがわ りの)ちゃん
2007年7月14日誕生。はじめまして。Nice to see you! もう歩けます。おしゃべりもでき、友達と遊んでいます。
福岡にて派遣祝福式
(福岡中部教会)
関西にて壮行会
(大阪パウロ教会)
2期派遣式
(福岡女学院教会)
[2期目赴任に向けてのご挨拶]宮川 眞一 2009年8月
この度、2期目開始のため9月に再び前任地のチャンドラゴーナに向け、家族で出発いたします。
帰国後10月から始まった報告会では、今年2月までに、小集会も合わすと全国約120箇所を回ることができました。ハードなスケジュールでしたが、学校や教会だけではなく、様々な場で語り、話しあい、その中から新しい理解が生まれ、仲間ができたことを、とても嬉しく思っています。
愛媛県の八幡浜幼稚園では、園児たちが集めてきた切手を、お話の後で一緒に切る作業をしました。集会の後、一人の園児が牧師館にやってきました。「家に帰ったら、手紙があったから、お母さんにいって切手を持ってきた。宮川先生に渡して!」そう言って、牧師に1枚の切手を手渡したそうです。
山口県では、「人間イキイキ研究会」の方々との1週間のキャラバンでした。野島では、全小中学生6−8名への報告会、夜には島の人たちと酒を酌み交わしながら、話しは戦時中のこと、島の過疎の話しにも及びました。
その場、その場で頂いたエネルギーに、祈りに深く感謝しております。
4月以降は、2期目に向けた研修期間にあてました。最初の1カ月半は、元の職場である福岡徳洲会病院で、内科・皮膚科を中心とした臨床研修を行いました。約4年間のブランク(先進医療からの)は、思った以上に大きく、最初の内は、外来に出るのさえ、プレッシャーでした。
皮膚科の研修を選んだのは、現地で一番困った科目だったからです。私自身も、原因不明の皮膚病(最後に一応の診断が付き完治しましたが)にもかかってしまいました。ご存じのように、現地の外来では何でも診なければなりません。この研修が2期目に役に立つよう頑張ります。
6月からは、ペインクリニック・臨床心理動作法・ファシリレーティングの研修などを行いました。それぞれに有意義であったと思います。これらについては、今後の現地からの報告で、どのように展開したかをお伝えする際に、詳しく述べたいと思います。
2期目のチャンドラゴーナでの仕事は、基本的には1期目と同様、地域医療プロジェクトのさらなる展開への参加と病院での勤務です。プロジェクトは、現在、母子保健分野、特に出産に伴う諸問題を中心に展開しています。
病院では、メタボリック外来を始めとして、1期目に立ち上げた医療廃棄物委員会などをより展開させると共に、救急医療分野・メンタルヘルス分野での新たな試みを考えています。
一緒に赴任する娘、理希(りの)も2歳になり、おしゃべりも日に日に上手になってきました。新米ママだった理世(みちよ)も、おかーちゃんらしく成長してきてるようです。2期目も家族一同、どうぞよろしくお願いいたします。
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[赴任の挨拶]宮川 眞一 2005年8月
皆さん、こんにちは!
この度、バングラデシュのワーカーになりました宮川眞一(みやがわ しんいち)といいます。
私の故郷は愛媛県宇和島市という、かつて伊達藩の城下町、最近では「世界の中心で愛を叫ぶ」のモチーフとなった町の出身です。中学生の頃、当時JOCSネパールワーカーの岩村昇氏が帰国の度に立ち寄られ、私の出席教会である日本キリスト教団宇和島中之町教会でも、よく講演会が行われていました。氏の語る海外医療の世界に憧れると供に、「夢を追いかける気持ちの継続が、それを叶えてくれる」という言葉に支えられ、今回やっとワーカーとして第1歩を踏み出すことになりました。
道は遠く、宇和島東高校卒業後に、医師の道を志しましたが、なかなか道は開けず、最初は関西学院神学部へ入学いたしました。そこでの私の関心事は「人の苦しみ」についてであり、専攻は組織神学を選びました。神学の学びの延長線上には医療があり、それは私の中では同じ方向に至る歩みの道であったと思います。神学の学びは奥深く、それまでの信仰を根底から崩され、再び建て直さないといけない厳しいものでしたが、在学期間に得ることができた、物の見方や経験は、今日何にも換えがたいものとなっております。又、日キ教団甲子園教会での教会生活、学部自治会や釜が崎への関わり、特にアジア国際夏期学校(SIEA)を通しバングラデシュで過ごした研修期間は、今回の赴任を現実のものとする原動力になっていると思います。
徳島大学医学部を卒業し、福岡徳洲会病院でスーパーローテート(複数科を回る)研修後、総合内科・心療内科・リハビリテーション科に勤務していました。心療内科は「心と身体をを分けずに診る総合内科(心身医学)」で、精神科とは異なる診療科です。全人医療の実践のできる診療科目として、その姿勢は海外医療のそれと相通じるものがあると考えています。
さて、赴任地のチャンドラゴーナキリスト教病院CHC(Christian Hospital Chandragohna) は、バングラデシュ南東部のチッタゴン丘陵地帯に1907年設立された、地域に根ざした医療活動を実施している病院で、かつてJOCSからも畑野医師・小宅医師などが赴任していた所です。多くの少数山岳民族が暮らす同地域で、唯一緊急手術のできる病院として、医療活動のみならず看護教育や地域医療になど行っています。私の役割はこの病院を拠点として少数民族の居住地を含むチッタゴン丘陵地帯での地域保健活動に従事するという事になっています。政治的思惑や宗教、民族問題などが交錯するこの地域でスタートする新しいプロジェクトに参加できる事を心から喜びに思っています。
私が、現時点で考えられることはNGOs(非政府非営利組織)のコラボレーション(共同作業)・代替補完医療(伝統医療)の利用、その現場に則したシステムの形成・環境調整等といった抽象的なものです。しかし、自立(律)性を目指し共に働く者として、そこで「何を」「どのように」実践していけるかは徐々に明らかとなっていくことと思います。是非、その場その場で、皆様の良きアドバイス・ご支援をいただけますようお願い致します。
最後に今回、妻の理世(みちよ)も一緒にバングラデシュでの生活を始めようとしています。共働者としての家族の働きも合わせて心に覚え、お祈り頂ければ幸いです。
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