[現地報告〜自立を考える〜 1]宮川眞一
在バングラのNGOシャプラニールで長い間働き、日本での十年に渡り結婚生活の後、震災以降にバングラに帰って来たベンガル人ハンナン氏。
彼は、きれいごとではなく自分の国を憂い、自分の出身の村を憂いている。
彼の故郷は、チャンドプールというダッカ南東、車で3時間ぐらいの所にある。1年前までは道が悪く5時間以上かかっていたという。ホルバニイードの祭日に子どもたちを連れ、久々の里帰りをした後の彼の顔は輝いていた。
「いやー宮川さん、夜中の2時まで村の人たちが相談にやってきて、大変だったんですよ」コテコテの大阪弁で話し始めた。「村に行く道が良くなって今回は3時間ぐらいで行って来れたよ。これなら、気合を入れれば、週末にでも行って来られる。今度、宮川さんも、一緒にどうですか?」以前、彼はバイクを買いたいと言い出したことがあった。それは、車より短時間で着き、もっと村に関われると考えたからだ。しかし、事故の多いバングラでは彼の安全を考えると、妻康子さんの猛反対にあったのは、言うまでもない。
今、村には、彼の兄家族が住んでいる。彼は、12,3歳の頃ダッカにやって来て、NGOで働き、今は日本語を使いこなし、ダッカで私の滞在しているゲストハウスを経営する。一般的な言い方をすると村の「成功者」の一人である。年に1-2回は帰省しているが、最近は、世代も変わり知らない人も増えたという。
しかし、彼が村に帰ると多くの人が彼の元に相談にやってくる。
相談の内容は、「トイレの問題」から「嫁姑問題」多岐に渡る。彼は、今回村にトイレの設置を約束して帰って来たという。しかし、さすがにNGOで長い間働いた知恵は生きている。
ハンナン氏は言う。「協力してトイレのための穴を掘りなさい。2つきちんとできたら、資金を補助しましょう、そう言って帰って来たんですよ。あんまり沢山は出せないけどね。先にお金渡したら、ご飯に消えてしまうもん、お金は後で渡す。でもトイレとか必要なのは、みんなわかってるんですよ。」「先のことは、あまり考えない、今幸せならそれでいい、それが問題なんです。病気とかなんかあった時もね。だから大変なんです。ちょっとした食事がでるから、学校に来る。鉛筆や学用品がもらえるからそれでいい。それは違うんじゃないですか?」「ここの道をみんなで整備しなさい、そのために1日働きなさい、そうしたら、トイレの材料費を出しましょう。そうじゃないとダメだと思うんです。」
そう語るハンナン氏に言った。「ハンナン、いっそNGO作って関わったらどうなん?」彼は答えた。「いやーそれは、また違うんですよ。バングラのNGOの多くの責任者はダッカに大きな家を持って住んでいる。
私のよく知ってるNGOなんてあるプロジェクト予算の50万円くらい、実際にいったのはどのくらいなんだろう、全部いるとは思えない、残りはどうなったんやろ?私が、使ったらもっと違うことにも、ちゃんとお金が使える、A型やしね、それはそうなんやけど・・・。」「みんな、言うんですよ、お金は出しても口は出すなって、そんなバカなこと無いでしょう?
貰うお金をあてにして、変わっても、それは長続きしない、自分たちでやらないと・・私はそう思うんですよ。」「それでも、日本からスタディーツアーとかでやって来て、見学した後、そのNGOはよくやっている、そう言って帰るんです。だから、もっと、どうにかしたいんですよ。宮川さんも、いろいろアイディアを下さい。」
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