[現地報告 〜自立を考える〜 1-3] 宮川眞一

現地の子どもたち途上国では諸制度の改善等、本来行政が担うべき基本的事柄の多くは、まだまだ未成熟な状態に置かれている。そのために確かに民間・NGOの果たす役割も大きい。

NGOのスーパーマーケットとも言われるバングラデシュでは、「何処で働いている?」と聞かれて「日本のNGOだ」と言って理解しないものは一人もいない。それほど、一般に浸透しているNGOだが、その質にはピンからキリまである様だ。もちろんNGOの働きには、すばらしいものもあり必要不可欠である。担っている役割も大きい。各言う私も日本のNGOの一員である。

しかし、その限界性も多々あるのは言うまでもない。 今、幸いなことに、彼らのような意識を持ったバングラ人(ベンガル人以外の国民を含め、こう呼ばせてもらう)が、増えてきたのは確かだと思う。最近の新聞でも、寒さによる路上生活者の死亡を憂い、当局だけでなく国民の意識を憂う記事を目にした。その背景の一つは、経済発展に伴って貧富の格差が大きくなる中、少し余裕の出来た階層の中に問題意識を持つものが増えたこと、又、考えを行動に移していく人が増えて来たことかもしれない。

若い人たちの中にも、このような変化を見て取れる。事実、バングラ人による支援をアピールするストリートチルドレンの援助団体「エクマットラ」などには、趣旨に賛同するバングラ人がボランティアで多く関わっている。その一人で最近この活動に参加し始めたダッカ大学学生のシムル氏は次のように語った。

「以前から、このような活動に関わろうと考えていたが、何かピンと来るものがなかった。ある時、エクマットラに出会い『これだ!』と思い参加している。親も(ある程度の所得がある知識階級のムスリム)自分の本分をきちんとしていれば、この活動については、特にとがめたりはしません、自分は、これに出会えてラッキーでした。」 「自立」は援助の究極の目標であろう。

彼らの姿勢・働き中に、より鮮明にその姿を見出すことができる。又「顔の見える援助」とは、よく聞く言葉かもしれない。しかし、ここで紹介した彼らの関わりこそは「顔が見え、声が聞こえ、かつ心の動きが伝わる」援助そして自立への光がいつも見えている働きだと考える。

強調したいのは、何らかの生業を持つ者(そのまま向こう岸を歩いていれば、ある意味幸せでいられる者)が、自分の問題意識や信仰・信念を原動力に、自分の時間やお金を提供して関わっていく、しかも取り敢えずの現場は自分の身近な所であるにしても、その先にあるのは、自国の状況を憂うが、諦めずに「自立」のために動こうという意識である。

「ボランティア」という言葉に代えるには何かしら抵抗のある、その意識に、この国の救いを見たように思える。JOCSで働く一人として、こういう人たちと共に歩み協力し、その輪を広げていくことに関わりたいものである。
[終わり]

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