[現地報告〜クリスマスに『愛』を思う〜]宮川眞一
Nkkon Chakmaは17歳の男性、突然下肢から始まった脱力は、その日の内に上肢に至り、来院時は、構語障害も出現していた。シニア医師からチッタゴン医科大学への受診がすすめられていた。
家族は民間療法・ハーバル・メディスンの適応を主張。Guillain- Barre症候群を疑った私は、少なくとも、ここで出来る除外診断検査を主張し家族に説明をし、入院を継続。翌日早朝、呼吸困難から意識混迷状態となり挿管。一命はとり止め、意識も回復。管は抜けないが自発呼吸は可能であったが、その夜、呼吸不全で死亡した。
キリスト教病院でありながら、診察もせず医大に送ろうとする医師、救急処置も不慣れなスタッフ、忙しくも無いのに呼吸困難状態に気付きもしないナース。残念なことに現在、病院全体の雰囲気は「日常の死」と「安易な諦めの意識」に慣らされているように思える。
人工呼吸器も無い当院で出来ることには無論限界がある。特殊な治療薬も手に入らない。救える命が救えなかったと落ち込む私に院長は意味深に「ここでは命は安価なのさ、出来ることは限られる」と言った。
しかし、何か違うと思う。「愛」は真理を喜び、偲び、信じ、望み、耐えること・・地域医療の現場は、もっと過酷な状況である、そこに踏み出そうとする病院スタッフと共に、その姿勢の中に「愛」の意識を忘れないでいたい。
(JOCS会報「みんなで生きる」2006年12月号子ども版所収)
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